MADDIDA | 1949

MADDIDA

 


MADDIDA(自己ドラムデジタル差分解析器)は、常微分方程式のシステムを解くために使用される特別目的のデジタルコンピュータです。ビット表現を電圧レベルとして使用した最初のコンピュータであり、全体の論理をブール代数で指定した最初のコンピュータでもあります。フロイド・スティールによって発明されたMADDIDAは、1946年から1949年にかけてノースロップ航空によって開発され、スナークミサイルの誘導システム用に設計されました。しかし、MADDIDAは武器システムには使用されず、むしろ航空研究に活用されました。1952年には、MADDIDAは世界で最も売れた商業デジタルコンピュータとなり、6台が販売されました。

開発
開発は1946年3月にノースロップ航空で始まり、最大5,000マイル(8,000km)離れた目標を200ヤード(180m)以内に正確に打撃できる誘導システムの構築が目標でした。しかし、MADDIDAは武器システムには使用されず、ノースロップはスナークミサイルの誘導に別のアナログコンピュータを使用しました。

プロジェクトの一環として、最初のデジタルデータ分析器(DIDA)の開発が含まれていました。フロイド・スティールはDIDAの概念を開発した主導的な人物であり、デジタル要素のみでアナログコンピュータを実装する方法を提案しました。磁気ドラムメモリを使用することが決定され、名前がMADDIDAに変更されました。

スティールは、MADDIDAのドイツ式ダイオード論理回路と磁気記録作業を行うチームを編成し、1946年から1949年までMADDIDAのプロトタイプを開発しました。

設計
MADDIDAは、6つの保存トラックを持つ磁気ドラムを使用して44の積分器を実装しました。積分器間の接続は、適切なビットパターンを1つのトラックに記録することで指定されました。MADDIDAは、ビットを電気パルスではなく電圧レベルとして表現した最初のコンピュータであり、全体の論理をブール代数で指定した最初のコンピュータでもあります。これらの機能は、従来のデジタルコンピュータがまだアナログ回路部品を含んでいたことに比べて進歩した点です。

元のMADDIDAプロトタイプは、現在カリフォルニア州マウンテンビューにあるコンピュータ歴史博物館のコレクションに保存されています。

配布
最終的に、MADDIDAは武器システムには使用されず、ノースロップはスナークミサイルを誘導するために別のアナログコンピュータシステムを使用することになりました。このシステムは信頼性が低く、多くのミサイルが失われる結果となり、1956年に発射されたミサイルはブラジル北東部に落下し、1983年まで発見されませんでした。このプログラムに関連する多くの人々は冗談半分に「カリブ海は『スナークに満ちた海』でいっぱいだ」と述べました。

MADDIDA設計チームが1950年にノースロップを離れた後、マックス・パレフスキーを含む別のチームがこの機械を商業的に配布するために取り組むことになりました。1952年末までに6台のMADDIDAが納品され、当時世界で最も売れた商業デジタルコンピュータとなりました。6台のうちの1台は海軍電子実験室に販売されました。

余波
MADDIDAの開発を通じて、設計チームは、適切な問題指向言語(POL)、例えばダイナモを使用して一般目的のデジタルコンピュータでもデジタル差分解析器を実行できることに気づきました。MADDIDAの最初のデモンストレーションの後、スティールと設計チームは一般目的のコンピュータ開発のためにノースロップを去りました。1950年7月16日、彼らはコンピュータ研究公社(CRC)を設立し、1953年にはNCRに売却されました。

マックス・パレフスキーはノースロップでMADDIDA複製チームと共に働いた後、1952年から1956年まで初期のパーソナルコンピュータであるベンディックスG-15の構築に取り組み、その後パッカード・ベルの新しい子会社で働くことになりました。パレフスキーはデジタルコンピューティングの商業的支援を得て、設計の進展を続けることができました。彼は1972年5月にゼロックスの取締役および取締役会議長として引退しました。ゼロックスは最終的にパーソナルコンピューティングを放棄しましたが、ゼロックスのプロトタイプは1979年にスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックがゼロックス施設を訪れた際に影響を与えました。

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